できているのに、なぜ満たされないのか

できているのに、満たされない感覚

「予定はこなしている。
やるべきこともやっている。
何の問題も起きていない。

それなのに、どこか消えないもやもや感。
これでいいと思えない。
理由ははっきりしないけれど、なにか満足できない。」

もしあなたに、こんな感覚があるなら、

それは「弱さ」や「甘え」など、
あなたに足りないものがあるのではなく、

こころの反応を正しく拾えているということかもしれません。

忙しさの中で、私たちはたくさんのことを後回しにします。
疲れ、迷い、立ち止まりたい気持ち。

「今はそんなこと考えている場合じゃない」
「まずやることをやってから」

そう言い聞かせて、優先順位を考え、目の前のタスクに戻る…

すると、生活は回ります。
外から見れば“できている”。

でも内側では、
本当は向き合いたかった何かをずっと保留にしたまま。

誰にも責められていないのに、
自分が自分にOK出せない感覚になることがあります。

この内側を置き去りにしている現実が
言葉にならない“もやもや”の正体のことがあります。

「ちゃんとできたら、してもいい」という内的ルール

多くの人の心の中には、
はっきりと言葉になっていない決まりがあります。

たとえば
「ちゃんとできたら、安心していい」
「結果を出したら、休んでいい」
「迷いがなくなってから、話していい」

誰かにそう言われた記憶がなくても、
当然のこととして働き続けているルール。

こうしたものを内的ルールと呼びます。

これは、社会で生きる常識として、集団生活や、家庭の中で刷り込まれ、自分の行動指針になっているもののひとつです。

そして、公私にわたって私たちに影響を与えるのです。

先ほどのルールのもとでは、
「まだ整っていない自分」
「答えを持っていない自分」には、

発言権も、休む資格も、助けを求める権利もないと思っていることがあるのです。

“できる自分”と“置き去りの自分”の分断

こうして、心の中にふたつの立場の自分が生まれます。

ひとつは、外でうまくやっている自分。
仕事をこなし、期待に応え、役割を果たす。

もうひとつは、
迷っていて、止まったままの自分。
でも表に出してはいけないと感じている。

この二つの自分の距離が広がるほど、
“うまくやっているのに、どこか苦しい”状態になります。

もやもやの正体は、能力不足ではなく、
自分の一部を切り離し、表面で生きている感覚なのかもしれません。

なぜ内的ルールの影響から逃れられないのか

内的ルールに気付いて、自分でルールを外せばいいように思うのですが、

できそうでいて、自分には見えにくいものです。

“自分の当たり前”として染み込んでいます。

分かっているはずでも、同じことを繰り返してしまう理由のひとつは、無意識だからです。

これは意志の弱さではありません。

だからこそ、しみ込んでいる価値観を外に出して、誰かと一緒に眺めることに意味があります。

話すことで起きる変化

言葉にすると
ぼんやりしていた感覚は、縁取りができたように見えやすくなります。

「そんなふうに感じていたんですね」
「それを意識しないまま、動き続けてきたんですね」

評価でも正論でもなく、
理解として返ってくる言葉を受け取るとき、

人は初めて、自分の感覚を“現実のもの”として扱えるようになるようです。

すると、
どのような自分であっても、
少しずつ、そのままの感情を受入れて、落ち着いていく方が少なくありません。

カウンセリングで起きる大切なことは、
アドバイスによる変化というより、

この自分を自分として認める再統合のプロセスであるといえます。

もし、あなたが“今”整っていないなら

多くの人が言います。
「もう少し落ち着いてから来ます」
「答えが出たら話します」

これは、内的ルールに影響されている状態と思われます。

でも実際には、
落ち着いていないとき、
答えがないときが、
話す意味のあるタイミングかもしれません。

だれかに、この感覚を話したことがありますか

タスクはできているのに、
認められているのに
うまく進んでいるのに、
満たされない。
なにかを保留にしたまま。

もしこの感覚に心当たりがあるなら、

一人で抱えずに、こころの内側をみて、再統合するという選択肢があります。

その過程で、この少しのモヤモヤにトラウマの影響があると気付く場合もあります。

カウンセリングは、
答えを出すためとして活用することもありますが、

今の自分を、そのまま言葉にすることで、思ってもいなかった変化のきっかけになることがあります。

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