相談室・カウンセラーの紹介

「心理相談室しんふぉにぃ~」の紹介

2025年5月の開室です。

しんふぉに~のモットーは、「人が分かり合うのを助けること」。

分かり合う人が増えると、幸せを感じる人が増えると信じているからです。

そして、安全に適格に責任をもってカウンセリングができるように

専門的な資格をとり、効果のある療法を学び続けています。

少しでも早く、少しでもあなたの身近で相談相手になれるように、

札幌駅の近くと大通駅の近くの貸室を使いながらの開室です。

心理士が一人の相談室なので、携帯電話に出られないことが多く、

ライン、ホームページを使ってのやりとりになります。

カウンセラーの紹介

こんにちは。
しんふぉに~の心理士、風間恵美子です。

わたしが、心理士になろうと思ったのは、40歳のときでした。

幼いころの私は、手がかからず、口数も少なく、

何を考えているのか分からないと言われていたようです。

でも、内言は豊かでした。いつも何かを考え、いつも何かを感じていました。

幼稚園まで、特に緊張する場面で指しゃぶりをしていて、

親指はふやけて膨れ上がっていました。

入学後はあまりにしゃべらないので、知能検査の依頼書をもたされ、検査に行ったことを覚えています。

場面緘黙だったようです。

その後は吃音になり、今もたまに、出ることがあります。

はじめての家出は、小学年生ごろだったと思います。

どこか遠くに行きたくなり、一人でどこまでも歩きました。

暗くなってきて”もういいか”と思い帰ってきました。

だれにも気づかれないし、そのことをだれにも話しませんでした。

いつも、人に相談することが思い浮かばず、自分の中だけで答えを出していました。

そのままの私で、高卒後、さっさと家を出て、静岡県の専門学校に行きました。

就職はチャーター外航船の乗組員でした。

23歳で自立していました。

それが、実家に戻り家族の要求に従い、父の建てた喫茶店を任されることになったのです。

今思うと、人一倍自由にしていたはずなのに、しっかり家につながれていたように思います。

そして、自分の意志で、朝から晩まで、何の違和感もなく低賃金で働いていました。

ここまでで、分かる人は多いと思います。

家族にDVはありませんでしたが、情緒的ネグレクトに近い状態だと思います。

また、機能不全家族、アタッチメント障害、愛着トラウマにも関係していそうです。

私は、無意識で、相手の望み通りにしたくなり、傷つきを経験してきました。

恵まれているように見えたため、嫌味を言われることが多く、

その他、人間関係での揺れも大きいときがありました。

私は、自分自身の、周りが見えずに突発的に行動するところを

”自閉スペクトラム症傾向のせい”と思っていました。

それが、愛着問題を抱えている人にありがちな、自我の弱さと境界線のもろさと関係があると気付き、認めたのは、ここ数年のことです。

愛着問題の苦しさを持っている方との親和性は、ここからきていたのだと納得しました。

私にとっての大きな転機は、結婚をし、子どもができたことです。

自分のことより大切な存在ができたのです。

その子どもたちが、アレルギーで、肌をグチュグチュにして、昼、夜泣き叫ぶのです

没頭型の私は、素材や調理法、環境を徹底的に工夫しました。

子どもたちの行動が他とは違うことに気付き、感覚統合自然療育が必要と考え、

末の子のときは、親子で森の中にある幼稚園に通いました。

そのころ、上の子のことで、学校や相談機関と頻繁に話をしていました。

何を言っても、鼻であしらわれれ、取り合ってもらえない悔しさと、

多方面でトラブルが続いたせいか心身の不調が起きていました。

心理士を目指そうと思ったのはこのころです。

同じころ、親の会グループセラピーにも参加し、少しずつ、ひとに相談ができるようになってきました。

子どもたちは小学生と中学生になり、学校に行けなくなりました。

夫の後押しもあり、思い切って母子で山村留学へ行きました。

そこは、家も学校もみんな顔見知りの小さな、でも深いコミュニティ。

ごまかしがきかず、子どもたちは自分と向き合うことになりました。

一方、私は、一人暮しの老人や、地域に流れ着いた人たちの、さまざまな生き方を知りました。人の生臭さ、隠せない欲も自然なことと気付きました。

この2年あまりの期間で、子どもたちと私は、大きく変わりました。コミュニティーの力だと思います。

札幌に戻り、私は、珠算教室で働きました。

普通の親子のやりとりを見、こどもたちの柔軟なたくましさ、

ある意味では、したたかさと言えるものを見る機会にもなりました。

私の子にはない、このよい意味でのしたたかさが、

社会集団で生きていく力なのかもしれないと思いました。

山村留学のころから、放送大学で学んだ私は、末の子が中学を卒業するとき、大学院を修了しました。

思いもよらず、札幌市教育委員会 特別支援教育巡回相談員として働くことになり、

少なくても2500回以上学級を参観しています。

ちょっとしたしぐさ、行動などからも、

こどもの性格や発達、今の困り、「もっと」を求めてよいのかを判断します

1万回以上、サポート方法を話し合ってきました。

親としての私は、学校からみると、扱いにくいタイプだったと思います。

それが、先生たち、こどもたちのために仕事をするのですから驚きです。

学校では、純粋に子どもに向き合う教師にたくさん出会いました。

心身の不調に苦しんだり、こどもとの接し方の時代の変化に苦しむ方にも出会い、

心理士として、力のなさを痛感したことがありました。

ふり返ってみて、学生時代からのアルバイトや実習も含めると、30か所ほどで働いてきました。

精神科クリニックでは、子どもからシルバー世代の方々まで幅広く担当しています。

経験したことは、担当する方の話を理解するうえで、役に立っています。

このような、
”当事者、当事者の家族、支援の立場を通ってきた心理士”も悪くないのでは…と思っています。

わたしは、何かがあったとき、どちらが正しいかをジャッジする必要はなく、

お互いを分かり合うことで、幸せを感じることが増えていくと信じています。

これらの経験や学びから、こどもの育ち、軽度知的障害、発達障害、不安、うつ症状、パニック、心身の不調、過食嘔吐、トラウマ、DV、家族関係、人間関係、愛着の問題、

ほかにも、名前のつかない、いろいろな身体のつらさや思い、生きることと向き合っている方と話し合っています。

わたしは、たまたま出会いに恵まれ、たくさんの助けを受けて、今があります。

経験して得た学び、専門的な学び、助けられてきた恵みを、

あなたの役に立てるようにするのが私の行うことだと思っています。

一度、カウンセリングを試してみませんか?

あなたの話をおききします。

現在:
精神科クリニック勤務/北海道立紋別高等看護学院非常勤講師

資格:
公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士

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