身近な人が、うまくいっているのを耳にしたとき、
一瞬「それに比べて自分はどうだろう」と考えてしまうことがありませんか。
そして、同時に、人と比べている自分を疎ましく感じることがあるかもしれません。
“人と比べること”はよくない思いなのでしょうか。
ところで、”比較”には、いくつかの種類があります。
比較は“悪い癖”ではない
まず意識しておきたいのは、
人と比べてしまうのは、性格の問題や弱さ、未熟さとは限らないということです。
私たちはもともと、自分を知るために、
他者の判断や、
他者との違いを手がかりにして
自分の立ち位置を確かめようとします。
ですから、比較は、自分を理解するための自然な心の働きです。
問題は「比べること」自体ではなく、
「どんな目的で比べているか」です。
ここから、その目的の違いをみていきます。
1.自己評価の“基準探し”としての比較
人と比べてしまうのは、
自分の価値を知りたいから。
自分の物差しがあいまいなときほど、
自分以外の基準に、ものさしを求めてしまいます。
「これで合っているのかな」
「私はどの程度なのかな」
そんな確認作業としての比較。
これは決して悪いものではなく、
むしろとても自然な心の動きです。
そして、実際、比較は自分を理解するための手がかりになります。
2.不安の表現としての比較
比較が増えるときは、
たいてい“安心が足りないとき”です。
・このままで大丈夫かな
・これで合っているのかな
・私は認められているのかな
という不安が先にあり、その不安が「人と比べる」という形で表に出てくるのです。
つまり、このタイプの比較は、
原因ではなく、こころが安心をもとめている“サイン”。
3.自己否定を正当化する比較
こころが弱っているとき、
否定的な情報を選び取る方向に傾きやすくなります。
これは、一貫性の原理やネガティビティバイアスによるものと思われます。
・あの人のように、私はできていない
・わたしは勉強と経験がたりない
・わたしの魅力が少なすぎる
そうやって比較を使って、
自分を責める理由を集めてしまいます。
危険を回避しやすいようにする、守りのメカニズムともいえるしくみが、自己を攻撃するものになってしまうのです。
このタイプの比較が増えているときは、
努力が足りないのではなく、心のエネルギーが弱っているのかもしれません。
4.向上心があるようにみえるセルフモニタリング
・もっと成長しないと
・遅れているかもしれない
一見ポジティブに思える
このような比較が、
実は、終わりのないセルフモニタリングになっていることがあります。
努力家ほど、セルフモニタリングのつもりで、完璧を目指そうとすることがあります。
自分を伸ばすための視点が、
いつのまにか自分を追い立てる視点に変わっていきます。
このタイプの比較は、
前向きに見えるのに、とても消耗します。
抑うつとの関連も見え隠れします。
5.アイデンティティが揺れているサイン
自分の軸がはっきりしているとき、
人はあまり他人と比べなくなります。
逆に、
環境が変わったとき
役割が変わったとき
自信が揺らいだとき
比較は一気に増えていきます。
これは、自分の芯の部分の不安定さです。
つまり、自分のものさしが、本当に正しく測れるのか、もう一度確かめないといけない
…そんな状態になっている不安定さです。
6.冷静ではいられない感情的な比較
これは、どれにも分類できないものや
憎しみや羨み、嫉妬、悔しさが混じった
たとえば、
だれかの成功が、自分の人生を全否定されたと感じる強烈な思いなど
今、言葉になりにくい、整理する前の状態です。
比較の“目的のちがい”
ここまでをまとめると、
比較には大きく3種類
①自分を確認するための比較
②自分を否定するための比較
③目的のない感情的に揺さぶられる比較
①の比較は当然の行い。
②の比較は疲れるループになる行い。
③の比較は、分類できない状態。もっと深いレベルでの対応が必要です。
まず、この違いを見分けられると、比較にこころを揺らす必要は減ります。
そして、③の比較は、自分だけで、なんとかしようとするには重すぎるかもしれません
大切なのは、
「比べないように」することではなく
「どんな目的で比べているかに気づく」こと。
「重すぎるところは、抱えすぎずに、だれかに頼る」ことをお勧めします。
比較に飲み込まれないために
比較は、完全になくすものではありません。
自分にふたをして整えようとすると、苦しくなるのです。
特に③の比較は、混乱が増すこともあります。
必要なのは、
比較しない頑丈さではなく、
比較に飲み込まれない柔軟さです。
いまの比較は、
自分を知るため?
自分を否定するため?
それとも、気持ちがゆれすぎて自分には重すぎる?
そう問いかけるだけで、
比較の渦から距離をとることができます。
おわりに
人と比べてしまう自分がいるとき、
そこに、あなたの気持ちが隠れているかもしれません。
比較はやめようとするものではなく、理解するもの。
もし、理解どころではなく気持ちがゆれているときは、
無理に止めようとせず、ゆっくり一緒に見ていくのがカウンセリングです。
