カウンセラーごあいさつ
はじめまして!
心理士の風間恵美子です。
心理士は、人の助けになることを目指す職業です。
わたしが、心理士をめざしたのは、40歳のときです。
子育てがうまくいかなくなり、今まで「なんでもどうにかなる」と思っていたのが、「どうにもならならないことがある」と経験した後でした。
カウンセリングでは、心理士自身の人間性の影響が出やすいという現実があります。
心理士になる以前の経歴も含め、紹介します。
カウンセラー経歴・心理士になるまで
はじめて家を離れたのは、
高卒後、旅行関係の専門学校で学ぶためでした。
卒業後は、大手船会社の正社員としてチャーター外航船に乗船。
寄港地で観光ができ、楽しい反面、船上での仕事はかなりハードでした。
そのころ、実家の父は、夢だった喫茶店を作るので、その店を任せたいと言ってきました。
遊び歩いている娘を、手元におくための策だったようです。
家族から「一度くらい親孝行をしなさい」と説得され、喫茶店を新規出店しました。
調理師の資格をとり、バイトの助けを借りながら、休みなく働き、
乗船中とかわらないハードさでした。
それなりの売上げをあげ安定しているときに「一度だけ」の親孝行を終え、家族に店を引き継ぎました。
すぐに、美容室専売化粧品会社の美容部員として働きました。
顧客は美容室です。
スタッフへのメイク指導、訪店客へのスキンケアなど、楽しい仕事でした。
同時に、営業と事務の関係、本社と支社の社員のやりとりから、正直なだけでは気持ちよく働けないことを知りました。
結婚後は、子育ての合い間に、珠算教室の指導・管理など子どもの学習と関わりました。
そんなこんなで、学生時代からの短期バイト、実習を含め30近い仕事を経験しています。
子育てでは、子どもたちの食物アレルギーに合わせ、6年間子ども二人に違うタイプの除去食を用意していました。
また、「子どもは、自然体験活動から生きる力を学んでいく」という考え方が気に入り、森の中の幼稚園に親子で登園。
親の会、グループセラピー、アウトドア活動、あちこち連れまわり、
そのうちに、三人の子の不登校が重なり、夫を残し、母子で山村留学に行きました。
私が「こま」だとすると、ずっと回りっぱなしです。
いま、ふり返り、とりあえず回っていたのは悪くなかったと思います。
この山村留学の約二年間、地域や学校での密な関りと、何ごともごまかせない環境で、
子どもたちは、自分と向き合うしかなくなりました。
大きく変わりました。
ちょうどそのころ放送大学で学び、その後、札幌に戻り、末の子が中学を卒業するとき、わたしは大学院を修了しました。
カウンセラー経歴・心理士になってから
札幌市教育委員会 特別支援教育巡回相談員として、通常学級を中心に2500回以上学級参観。
子ども、保護者、教職員の方々との話合いを通し、1万回以上課題を検討し、サポート方法を提案してきました。
わが子の問題行動の経験は、かなり役に立ちました。
ちょっとしたしぐさ、行動から、こどもの性格や発達の特性、今の困り、課題に手をつけられる状態かがみえることに、私自身が驚きました。
精神科クリニックでは、子どもからシルバー世代の方々を担当し、
不安、うつ症状、心身の不調、パニック発作、過食嘔吐、トラウマ、DV、軽度知的障害、発達障害、家族関係、職場の問題、生き方の模索、様々な症状や思いと向き合ってきました。
カウンセラーの経歴から伝えたいこと
カウンセラーの経歴を長々と紹介したのは、
どうにもできないところを通ってきたという共通点があると思うからです。
わたしの経験と、「あなた」の経験は全く違います。
わたしの感じ方と、「あなた」の感じ方は全く違います。
わたしは、カウンセラーですが、問題の中にいる同士でもあります。
「ひと」として、「あなた」の感じていることを大切におききします。
読んでいただきありがとうございました。
現在:精神科クリニック勤務/北海道立紋別高等看護学院 非常勤講師
資格:公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士