この記事は、ある男の子のエピソードを中心にしています。診断を受けるか迷いがあるときに、目を通してほしい内容です。特に、言葉の受け止め、社会性についてです。
小さいころは、微笑ましいエピソード。大きくなっても変わらなかったら?
Aくん(母親の許可のもと、事実をもとに編集)が、ADHDと診断されたのは、8歳のときでした。
友だちの家に遊びに行った4歳のAくん
母:「帰りは、まっすぐ家に帰るからね」
A:「でもね、2回曲がらないと帰れないよ」
お母さんが、思わず笑った、子どもらしいエピソード。
言葉通りに受け止めているので、この年齢でも、「あれ?」と思うかもしれません。
でも、すぐに発達障害? と思うのはちょっと早いかもしれません。ゆっくり、分かってくる子もいます。
でも、この「あれ?」という感覚は覚えておいたほうがいいかもしれません。
Aくんの場合は、年齢が上がってもあまり変わらず、トラブルがどんどん増えていきました。
そして、10歳になるとASDと診断名が変わりました。
トラブルが起きないと分からなかったASD
Aくんは、言葉は早く、友だちもいて、元気に遊んでいました。
検診で指摘を受けたことはありません。
問題が少しずつ出てきたのは、小学校になってからです。
増えたトラブルとASDの関係、後で分かった違和感
学年があがるに従い、トラブルが増えていきました。
はじめは、突発的な行動でした(ADHD傾向)。
それが、その行動に、Aくんの気持ちの曲げられなさがあることがはっきりしてきました(ASD傾向)。
言葉の裏の意味、暗黙の了解を察するのが苦手でした。
皆が当然分かっていることが、Aくんは分かっていません。
年令があがり、コミュニケーションで求められるレベルも上がっていきます。でも、Aくんの行動や考え方は、年齢があがってもあまり変わりませんでした。
思ったことを言うと怒られる
Aくんにとって普通のことは、周りからはワガママで迷惑なことになってきました。
話が合わなくなります。相手にされなくなります。
Aくんは、いじめられているような気持ちになります。
それで怒ると乱暴者と思われ、もっと相手にされません。
うまくいかないことが続き、自信がなくなり、人との関わる意欲がなくなっていきました。
先生ともうまくいきません。4年生の授業中のことです。
先生から
「いまは、一度話をやめてください」と言われました。そのあとも、話をしていたAくんに、先生は「どうして話を止めないの!」と怒りました。
Aくんは、「一度やめました」と答えました。
先生からきつく怒られました。
注意する側にある思い込み
Aくんは揚げ足を取ったのではなく、字義通りに、本当に「一度やめた」のです。
先生は、生意気な子だと思ったかもしれません。
管理する立場の大人は、怒る前に、その子の理解の仕方に気付けるかどうかです。
このセンスは経験がないと分からないかもしれません。
また、Aくんには「先生は、大事な話をするからおしゃべりをしないで」と言っていると説明が必要かもしれません。
診断は、予防と守りになる
トラブルはAくんの性格の問題ではなく、ASDの特徴の一つ、社会的な理解の難しさでした。
社会的判断や言語理解を司る前頭前野、側頭葉、扁桃体などの働きと関係している内容です。
大人が、Aくんを理解するには、医学的証明である診断が必要かもしれません。
問題が大きくなってから診断したのでは、子どものこころが傷ついた後になるかもしれません。
診断は成長を阻害させるものになることがある
一度診断を受けると、このまま一生変わらないというのではありません。
その子なりに変化し、学んでいきます。
親心から診断に寄り添いすぎ、
”この子は分からないから”と、やらせず、教えず、守りすぎて、育ちの芽を抜いてしまうこともあり、客観的な見方が必要です。
発達障害を生きる障害にしない関わり
相手の意図とこちらの捉え方のギャップを見える化します。
Aくんのように、言葉どおりに受け止めるタイプには、
相手の気持ち、相手の状況の説明が必要で、暗黙の了解ともいえる「普通わかるよね」ということも、言葉にして伝えないと、社会の中で浮いてしまうのです。
素直な子が多いので、被害感を減らし、穏やかに教えていくと、少しずつ分かってきます。
どの子にも必要なことですが、特に、発達障害の子への指導は、説明が必要なところを分かっていないと、的はずれになりがちです。
診断を生かす
今、何が起きているのかを話し合い、無駄に傷つかないために、早めの診断で防御することが必要になるときがあるのです。
発達障害の子が、適切な配慮を受け、出会いや経験を積み重ねて、人生を楽しんでいくことができますように。
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