こんにちは。
しんふぉに~の心理士、風間恵美子です。
過去は人を作ると言います。
どんな人なのかが分かるように今までの歩みを紹介します。
子どものころは、場面緘黙、吃音
幼いころの私は、手がかからず、口数も少なく、
何を考えているのか分からないと言われていたようです。
でも、内言は豊かでした。いつも何かを考え、いつも何かを感じていました。
幼稚園まで、特に緊張する場面で指しゃぶりをしていて、
親指はふやけて膨れ上がっていました。
入学後はあまりにしゃべらないので、知能検査の依頼書をもたされ、検査に行ったことを覚えています。
場面緘黙だったようです。
その後は吃音になり、今もたまに、出ることがあります。
はじめての家出は、小学4年生ごろだったと思います。
どこか遠くに行きたくなり、一人でどこまでも歩きました。
暗くなってきて”もういいか”と思い帰ってきました。
だれにも気づかれないし、そのことをだれにも話しませんでした。
いつも、人に相談することが思い浮かばず、自分の中だけで答えを出していました。
そのままの私で、高卒後、さっさと家を出て、静岡県の専門学校に行きました。
情緒的ネグレクト、機能不全家族
就職はチャーター外航船の乗組員でした。
23歳で自立していました。
それが、実家に戻り家族の要求に従い、父の建てた喫茶店を任されることになったのです。
今思うと、人一倍自由にしていたはずなのに、しっかり家につながれていたように思います。
そして、自分の意志で、朝から晩まで、何の違和感もなく低賃金で働いていました。
悪い親ではなく、家族にDVはありませんでした。
そういう家族のなかで、いろいろな事情が重なり、情緒的ネグレクトと呼ばれる状況になることがあります。
また、機能不全家族、アタッチメント障害、愛着トラウマにも関係があると思います。
私は、無意識で、相手の望み通りにしたくなり、傷つきを経験してきました。
恵まれているように見えたため、嫌味を言われることが多く、
その他、人間関係での揺れも大きいときがありました。
私は、自分自身の、周りが見えずに突発的に行動するところを
”自閉スペクトラム症傾向のせい”と思っていました。
それが、愛着問題を抱えている人にありがちな、自我の弱さと境界線のもろさと関係があると気付き、認めるようになりました。
愛着問題の苦しさを持っている方との親和性は、ここからきていたのだと納得しました。
子育て
私にとっての大きな転機は、結婚をし、子どもができたことです。
自分のことより大切な存在ができたのです。
その子どもたちが、アレルギーで、肌をグチュグチュにしていました。
おおげさな話ではなく、昼、夜泣き叫んでいました。
没頭型の私は、食べ物の素材や調理法、環境を徹底的に工夫しました。
子どもたちの行動が他とは違うことに気付き、感覚統合や自然療育が必要と考え、
末の子のときは、親子で森の中にある幼稚園に通いました。楽しい時間でもありました。
親の会、不登校、山村留学、私の育ち直し
そのころ、上の子のことで、学校や相談機関と頻繁に話をしていました。
何を言っても、鼻であしらわれれ、取り合ってもらえない悔しさと、
多方面でトラブルが続いたせいか心身の不調が起きていました。
心理士を目指そうと思ったのはこのころで、40歳のときでした。
同じころ、親の会やグループセラピーにも参加し、少しずつ、ひとに相談ができるようになってきました。
子どもたちは小学生と中学生になり、学校に行けなくなりました。
夫の後押しもあり、思い切って母子で山村留学へ行きました。
そこは、家も学校もみんな顔見知りの小さな、でも深いコミュニティ。
ごまかしがきかず、子どもたちは自分と向き合うことになりました。
一方、私は、一人暮しの老人や、地域に流れ着いた人たちの、さまざまな生き方を知りました。人の生臭さ、隠せない欲も自然なことと気付きました。
この2年あまりの期間で、子どもたちと私は、大きく変わりました。コミュニティーの力だと思います。
札幌に戻り、私は、珠算教室で働きました。
ここで目にした親子のやりとりは、こどもたちの柔軟なたくましさを知る機会になりました。
私の子にはない、このよい意味でのしたたかな賢さが、
社会集団で生きていく力なのかもしれないと思いました。
山村留学のころから、放送大学で学んでいた私は、末の子が中学を卒業するとき、大学院を修了しました。
臨床心理士として
ご縁があり、札幌市教育委員会 特別支援教育巡回相談員として働くことになりました。
少なくても2500回以上学級を参観しています。
ちょっとしたしぐさ、行動などからも、
こどもの性格や発達、今の困り、「もっと」を求めてよいのかを判断します。
1万回以上、学校関係者とサポート方法を話し合ってきました。
親としての私は、学校からみると、扱いにくいタイプだったと思います。
それが、先生たち、子どもたちのために仕事をするのですから驚きです。
学校では、純粋に子どもに向き合う教師にたくさん出会いました。
また、心身の不調に苦しんだり、こどもとの接し方に苦しむ方にも出会いました。
心理士として、力のなさを痛感したことが何度もありました。
現在、精神科クリニックで、子どもからシルバー世代の方々まで幅広く担当しています。
ふり返ってみて、学生時代からのアルバイトや実習も含め、30か所ほどで働いてきました。
経験したことは、担当する方の話を理解するうえで、役に立っています。
わたしは、何かがあったとき、どちらが正しいかをジャッジする必要はなく、
お互いを分かり合うことで、幸せを感じることが増えていくと信じています。
これらの経験や学びから、こどもの育ち、軽度知的障害、発達障害、不安、うつ症状、パニック、心身の不調、過食嘔吐、トラウマ、DV、家族関係、人間関係、愛着の問題、
ほかにも、名前のつかない、いろいろな身体のつらさや思い、生きることと向き合っている方と話し合っています。
わたしは、たまたま出会いに恵まれ、たくさんの助けを受けて、今があります。
あなたの話をおききします。
現在:
精神科クリニック勤務/北海道立紋別高等看護学院非常勤講師
資格:
公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士