「分かってほしいのに話したくない」という矛盾
「本当は、もっと分かってほしい」
そういう素直な気持ちを、言えないときはありませんか?
そのとき、いくつかの心の動きが重なっているようです。
素直になれないのは、傷ついた経験があるから
素直になれないのには、いろいろな理由、事情があるようです。
・過去に聞いてもらえない、分かってもらえないことがあった。
・”分かるよ”と、口先だけで言われることへの反発。
・相手は”わたしの話をききたくない”からと、相手のせいにして向き合うのを避ける。
・理解されることをあきらめているうちに、ストレートに気持ちが出なくなってしまった。
・考えすぎて、話すタイミングが見つけられない。
このようなことが起きていると、相手のわずかな表情の変化にも敏感に反応しています。
「どうせ分かってもらえない」と自分を守ろうとする
そして、このようなタイプの方は、過去のことだけでなく、いまも日々、周囲の様子をみて傷つきが更新されている方が多いです。
相談に来られる方で、よく耳にするのは
「どうせ分かってもらえない」という言葉です。
これは、「期待しない」ことで、自分を傷つきから守る自然な防衛機制と思われます。
奥にある「分かってほしい気持ち」
でも、そのように口では言っても、
心のどこかに「分かってほしい」という思いがないでしょうか。
「もういい」
「もう何も期待していない。」
「どうせ言っても無駄。」
そう思っているのに、その人の言葉に傷ついたり、反応してしまう。
それは、つながりをあきらめきっていないから。
すねてる、甘えてる、わがままと思われがちですが、
分かってくれない人たちへの
いら立ちとやりきれなさ、むなしさ、苦しさ。
心のどこかで、「いつか分かってほしい」という願いが残っていないでしょうか。
「もういい」は本当のあきらめではなく、
”真っすぐな思い”と、わたしは感じます。
その気持ちはそのままで。
否定せず、また、ポジティブにしようとする必要もありません。
うまく適応するために、すぐにふたをしたり、流したり、すぐに整理しようとしなくてだいじょうぶ。
それは「終わった」感情ではなく、いまの感情です。
もし、そこに、なんともいえない“モヤ”を感じるなら、あなたは、感情をまるごと受け止めています。
人は、本当にあきらめたときには、苦しまなくなることがあります。
苦しさが続いているということは、もしれません。
つながりが気になるのは、実は心が「まだ手放していない」からで、もともと持っている回復しようとする心の力かもしれません。
回復する心の力を蓄えるには
「私は何を分かってほしかったのか」と自分の中で問いかけてみるのはどうでしょうか。
答えをすぐに出そうとしないでいると、何かが感じられるかもしれません。
何も感じなければ、何も感じないことをそのまま受入れてだいじょうぶ。
そのうえで、あなたが分かってほしい相手を、あなたが選んでいきます。
あなたの”全部”を分かってもらおうとするのではなく、あなたの”一部”から。
少しずつ。
…そういう相手と出会えますように。ときには、いま身近にいることもあります。
最後に、大切なのは、「相手」ではなく、
「自分の心が、本当は何を願っていたのかを見失っていないこと」かもしれません。



