頼まれごとを引き受ける人が「頑張りすぎ」とは限らない
自分から進んで引き受けたいと思っているわけではないのに、
「なぜか、いつも自分が引き受けることになる」
「気がつくと調整役になっている」
そして、「頑張りすぎる」「断れない」「周囲の反応をうかがう」タイプとみなされてしまう。
そんな経験はありませんか。
もちろん、そのようなタイプで重荷を背負う方もいます。
でも「頑張りすぎる」「断れない」「周囲の反応をうかがう」タイプとはいえない人の中に、なぜか重荷を引き受ける位置に置かれてしまう人がいます。
重荷を背負いやすい人
重荷を背負いやすい人は、どのような人が多いのでしょうか。
- 周囲より少し気がつく人
- 頼めばやってくれると思われる人
- その場がぎくしゃくするくらいなら、自分が引き受けたほうがいいと思う人
- 「相手にも事情がある」と考えられる人
- 「仕方ない」と思えてしまう人
- だれかが困っていると放っておけない人
- 役割上、調整する立場にいる人
つまり、「頑張りすぎる」「断れない」「周囲の反応をうかがう」というより、
周囲の事情を察し、自らの意志で引き受ける責任感の強い人、実直な人、善良な人が多いのかもしれません。
社会は、みんなが同じ重荷を負うようにはなっていない
家庭、職場、地域の活動、どの集団の中にもさまざまな人がいます。
得意なこと、できること、苦手なこと、抱えている事情はそれぞれ違います。
そのため、誰かが少し多く担うことで、全体がうまく回ることもあります。
気づいた人が動く。
経験のある人が教える。
余裕のある人が手伝う。
人の気持ちを考えられる人が、間に入る。
言うまでもないことですが、私たちの生活は、このような、助け合いによって成り立っている部分があり、
皆が同じぐらいの分担をしていません。
やってくれる人への依存
たとえば
「あなたにならお願いしても大丈夫」
「あなたならなんとかしてくれる」
そんなふうに、期待という名で、当然のこととしてあなたの善意をあてにされることがあります。
フリーライダー(ただ乗り)
自分の負担やリスクを避け、人任せにし、いかにも自分がやったように振舞う人がいます。
責任感が強く、実直なあなたが報われないことがあるかもしれません。
事なかれ主義や責任の回避
現状を変えようとせず、だれかに負担をかけ続けることで、楽な状態でいようとする人に、あなたが利用されることがあります。
「支え合うこと」と「一人に背負わせること」は違う
重荷を背負う人が偏るのは、その人の対応の問題で片づけられやすいです。
でも、いろいろな期待、周囲の思惑が重なった結果のことがあります。
問題は、だれがどのくらいの負担をしているかではなく、その負担が、いつの間にか「その人がやるもの」になってしまうことです。
人は誰でも、体調や障害、発達の特性、経験の違いなどにより、周囲の助けが必要になることがあります。
支え合うことは大切です。
でも、同じ人が支え続けることは違うのではないでしょうか。
いつも同じ人が支えることを当たり前にすると、ひずみが起きてきます。
それを言える環境があるかどうかは、とても重要です。
「境界線を引けばいい」だけでは難しいこともある
人間関係で負担を感じていると、
「境界線を引きましょう」
「距離を置きましょう」
と言われることがあります。
確かに、自分を守るために境界線を意識することは大切です。
けれど、すべての関係で簡単に距離を置けるわけではありません。
そして、境界線を引こうとする側ばかりが、
「あの一言が状況を悪くさせた」
「もっと伝え方を工夫しなければ」
「理解が足りないのかもしれない」
と自分の力のなさとして努力し続けることもあります。
実際、努力は無駄にならず、力はつくと思います。
でも、本来は関係の中で考えるべき問題が、自分の対応の問題にすり変わり、
まじめに取り組む人が苦しむ構図になることがあります。
自分を守ることは、一人ですることなのか
では、どうすればよいのでしょう。
もちろん、できる範囲で断ることや、役割を調整することは大切です。
でも、人は、自分一人の力だけで自分を守り続けられるものなのでしょうか。
まとめ
「自分ばかりが背負っている」と感じたときには、
「自分が断れないからだ」
「もっと自分を守れるようにならなければ」
と、自分だけの問題にしないことをお勧めします。
あなたが重荷を背負いやすいのは、これまでの人間関係や、置かれている環境、周囲との役割分担など、さまざまなものが関係しているはずです。
一度立ち止まり、
自分の良さを再認識してから
負担の偏り、回避や逃げも可視化できるような環境を作る助けが得られよう願っています。
そして、あなたの本音をきいてくれる人がいますように。

