こんばんは。
心理士の風間です。
高校生のとき、ASD(自閉症スペクトラム)と診断を受け、少しずつ変わっていった様子を紹介します。
ASDと分かるまで
Aさん(数人を組み合わせ編集)は、10代後半の女性。
小さいころは、元気に遊ぶ明るい子でした。
小学5年生ごろ、みんなと話したいことがないし、意味のない話をするのがめんどうと思いました。
でも、それを口には出すことはなく、皆と過ごしていました。
勉強はできるほうですが、ときどき思い込みから失敗することもありました。
何気ない会話なのに、相手がどう感じているのか分からなく不安になることも。
それでも、少ないながらも話せる友だちがいました。
主張しない性格のせいか、特に大きな問題は起きず、高校生になりました。
好きなものを買うお金がほしくて、ファーストフードの店でバイトをはじめました。
自分が頼まれた仕事が終わった後、終わっていない人の手伝いをすることが納得いかなくて…
でも、言われた通りにしていました。
店の人の指示は、あいまいで、どうしてよいのか分からないことが何度もありました。
頑張ってなんとかやるのですが、注意されることがよくありました。
急な指示は、意味がわかるのに少し時間がかかります。
反応が遅い、おもしろくなさそうな顔をしているときつく怒られました。
自信がなくなるし、注意されるのも納得いかないし、でも言えないし、どうしたらよいのか分かりませんでした。
そのうち、バイトは辞めました。
学校では、ずっと浮いた感じがしていました。
周りに気を使わせていて、申しわけないなと思うことも。
でも、クラスの人と話しても興味が違いすぎてついていけないし、
かといって孤独感は強いし、ただただ、居心地が悪い毎日でした。
ときどき動悸がして、学校に通うのがたいへんになってきました。
病院に行ったのをきっかけに、Aさんは、ASDの診断を受けました。
診断を受けてから
両親からみると、Aさんは手のかからない子でした。
口数は多くないけれど、普通になんでもこなし、学校で問題も起こしません。
高校で体調が悪くなるまで、何も気にしていませんでした。
病院でカウンセリングを勧められ、あまり気は進まなかったけれど、母親からもやってみたらと言われました。
カウンセリングで、少しずつ、最近あったこと、納得いかなかったことを話すようになりました。
家でも話すようになりました。
そのうち、サポステに行くようになり、優しそうなスタッフと話すようになりました。
スタッフがいると、そこに来ている人とも話す機会が増え、
しばらくして通信高校に編入することを決め、卒業、いまも、自分に向き合っています。
後で振り返ってみると
Aさんは、年齢があがっても、人への関心が増えていかなかったようです。
だまって、相手に望まれたことをしていましたが、納得いかない思いが積み重なっていました。
でもAさんは、かなり適応力のある方。
新しい環境に飛び込むだけの安定感や自信、自分で決断する力、行動力もありました。
でも、一方的に怒られたのは初めてでした。
バイト先の対応によっては、診断を受けずにやっていけたかもしれません。
Aさんに課題があるとするなら、自分がどういうタイプが分かっていなかったということ。
感じたきもちを、そのまま流せる適応力のよさが裏目に出たのかもしれません。
自分なりに頑張っても、さらに怒られて、どうしてよいのか分からなくなり追いつめられてしまいました。
変わっていったポイント
Aさんが、少しずつ変化していったポイントは
- 言葉を受け止めてもらえた
- 強く意識していなかった、納得いかない思いに、向き合った
- 母親に受け止めてもらえた
- 通院やカウンセリングを続けることができた
- 新たな場所で、安心を感じることができた
基本は安心
ASDだけではないですが、調子を崩すときは”一気に”、ということが少なくありません。
でも、良くなっていくときは少しずつなんです。
ありのままの自分をだしても安全なことが積み重なると、じわじわ行動範囲が広がります。
自分と人に興味をもつ余裕ができるのかもしれません。
課題や問題はなくなっていませんが、安心して人と関わる楽しさを知ったAさんは、前のAさんとは違います。
ところで、Aさんの場合は、安定した家庭でしたが、
ASDの人の家族は、子育ての難しもあり、家族のもめごとが起きやすい環境のことが少なくありません。
でも、発達障害の検査を受けることができた人は、どんな形だとしても、家族かそれに代わるだれかから、サポートを受けれている人。
これからも、だれかとつながっていけますように。
また、サポートしている人は、できていないことをみつけるより、
”できることを探し行動しようとしている今”に自信をもってもよい…と私は思います。
問合せ から気軽に感想、意見をお寄せください。