さわやかに笑っている人を見て、「人に嫉妬したことがない人なんだろうな」と思ったことはないでしょうか。ときには“嫉妬していない自分”を演出している人もいます。
誰にでも嫉妬は起こる
嫉妬は、だれしも、できれば感じたくない、見せたくない、あまり歓迎されない感情です。
でも、身近な人の成功や、SNSなど比較があふれているのを見ると、ふと湧いてくることがあります。
そんなとき、
「自分だけが持っている嫌な思い」「人の成功を素直に喜べない自分は、器が小さい」と、その思いを隠そうとすることがあります。
正義感があり、細やかな気付きがある方ほど、その気持ちを感じやすいかもしれません。
なぜ、私たちは嫉妬を感じる自分を嫌うのか
嫉妬は自然に湧くもので、一部の人だけがもつ感情ではありません。
問題は、そのあとに「持ってはいけない感情だ」という評価が乗ることです。
それが自分を苦しめます。
また、他者の嫉妬心を見て、少なからず見下す感覚があり、自分の嫉妬心にも同じように捉えるのかもしれません。
どちらにしても、ここで起きているのは、感情そのものよりも、感情に対する評価です。
これから話を進めたい方向は、”嫉妬を感じることを評価”するのではなく
”嫉妬という感情をどう扱うか”という視点です。
つまり、「嫉妬という感情をもつこと」と「自己評価」を分けるのです。
嫉妬にある二つの要素
嫉妬には、たいてい二つの要素があります。
ひとつは欲求
→本当は自分もほしいという感覚。
もうひとつは怖れ
→自分には無理かもしれないという予測。
この二つが混ざったものを私たちは「嫉妬」と呼びます。
そして、「嫉妬=性格が悪い」と思いがちですが、
「嫉妬=満たされていないニーズ+自己効力感の低下」と説明できます。
自分の嫉妬心を受け入れがたい理由:理想自己との衝突
・“いい人でいたい”
・“満たされている人でいたい”
・“他人の成功を祝福できる人でありたい”
こういった理想像が、自分の嫉妬心を受け入れがたくしているものの一つと思われます。
理想像と感情がぶつかると、感情の抑圧が起こります。
これは無意識です。
コントロールできないのです。
だからといって、嫉妬から距離をおこうとして、人との関わりを拒否しても、クリアな気持ちにはなれないと思います。
それは、人は、誰かとの関係の中で考え、感じ、成長する生き物。
孤立すると、生きてはいけても、感情のやりとりなど、人間らしい力を十分に発揮できていないと幸せ感を得にくいでからです。
嫉妬が形を変えるとき
嫉妬を認めず、感じないようにしても、違う現れ方をします。
・攻撃性に変わる(怒り、憎しみ、無視)
・無気力に変わる
・「どうせ私なんて」に変わる(自責)
扱われない嫉妬のエネルギーは消えないということです。
そして、下手に抑え込まれると、形を変え、扱いにくくなります。
嫉妬の扱い方
①事実と解釈を分けます。
例:「あの人が成功した」→ 事実
「私は劣っている」→ 解釈
②わたしの欲求を特定します。
→名声? 自由? 評価? 安心?
③自分の行動に変換します。
“羨ましい人を下げる”のではなく
“自分の方向を決めます”
(欲求を満たすために何を行えるか)
このように少し立ち止まって観察すると、
・私は何を欲しがっているのか。
・誰の基準で自分を測っているのか。
(他者目線で測ると、他人の成功=自分の地位低下の可能性と、読み取ってしまいやすい)
・それは本当に自分の望みなのか。
これらが前より見えてきます。
嫉妬は、人格の欠陥ではなく、
見えなかった自分の方向に気付くサインに近いかもしれません。
でも、見ようとしなければ見えないかもしれません。
嫉妬の中に本当の欲求が隠れていないか
もちろん、嫉妬のまま、行動していいわけではありません。
けれど、感じたこと自体を否定し続けると、自分の欲求も一緒に見えなくなります。
他人をうらやむ気持ちの中に、
まだ諦めきれていない願いが含まれていることがあります。
それに気づくかどうかで、
感情の使い方は変わります。
嫉妬をなくすことよりも、
嫉妬を観察できることのほうが、
本当の自分に気付けます。
嫉妬を恐れない
「嫉妬を感じない人になろうとするより、
嫉妬を認める人になったほうが、人生は楽になります。」
最後にもう一度繰り返します。
嫉妬は人格の問題ではありません。
いまの自分の方向を確認する指針です。
ここで考えることが、あなたの未来につながりますように。

