完璧主義は、ネガティブに言われることがある
完璧主義は、細かすぎる、何ごとにも満足しない、自分にも他人にも厳しすぎる、というようなマイナスの意味合いで話されることがあります。
完璧な人と思われることの、うれしさと苦しさ
一方で、最後までやりとげるので、信頼され、一目置かれるていることもあります。
できる人と思われると嬉しい反面、そのイメージをこわせなくて、自分を追い込んでいる場合は注意が必要になります。
”やりたい”ではなく、”やらねばならない”になるからです。
そうすると、そのこころの葛藤はどんどん深くに入っていきます。
私は、完璧を求めること自体はマイナスではなく、タイミングよく、「まぁいいか」と抜けるかどうかだと思います。
いつ、どこを抜くかは、経験と自信、自分の置かれた状況の把握が必要で、正解はあるようでないのかもしれません。
完璧じゃなくていい、最善主義という選択
最善主義という「できる範囲で最もよいと思われることをする」考え方を、ポジティブ心理学のタル・ベン・シャハーが言っています。
「〇〇すべき」にこだわらず、現実を受入れるということです。
これ、
「変えるべきものを変える勇気と、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さ」を願い求めた、ニーバーの祈りと似ていませんか。
人の心にひびく言葉って繋がるんですよね。
人は違うけれど、言いたいことの本質は同じなのかもしれません。
できることをできる形で
もし、あなたが、がんばっているのに、まだ足りないと感じてしまうなら、
もし、あなたが、きちんとしなきゃと、自分を責めてしまうなら、
それはそれ。そう感じることを無理に変えようとしないで、完璧じゃなくてもだいじょうぶと唱えてみるのも一つの方法です。
今できることを、できる形で諦めずに届けることが大切なときもあります。
苦しいときは違う方向がある
一方で、分かっていても、完璧にしたい気持ちから離れられなくて苦しいなら、
違う方向から考えていきます。
最善主義は万能ではないからです。
それは、ネガティブに捉えざるをえない、複雑な過去からの影響がある場合がひとつです。
ネガティブさを軽く薄く表面だけでとらえてしまうと、拾うことができない思いが残ります。
そこを無意識であっても抑圧してしまうと、苦しさが慢性化して、違う形としてあらわれることにつながることがあります。
解決してすっきりさせたくなり、抑圧しないですみますように。
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