分かってほしいのに、説明したくない―その気持ちの裏側

伝えたいのに話したくない

「分かってほしいと思っているのに、話したくない」と感じることはありませんか?

カウンセリングでも、そのような方と出会うことがあります。

この“話したくない気持ち”のとき、いくつかの心の動きが重なっているようです。

「分かってほしい」のに、どこか不機嫌に見えてしまう

相手が無表情だと、具合が悪いのかな? 話したくないのかな? わたしのこと嫌なのかな? と思いめぐらすかもしれません。

でも、その多くは、話したくないのではなく、不機嫌や反抗でもなく、“期待したい気持ち”と“裏切られたくない不安”が同時に動いている結果のことがあります。

いままで、理解されることをあきらめすぎて、ストレートに気持ちが出ないときもあります。

また、言葉を探しているうちに、言葉にするタイミングを逃してしまう方もいます。

相手の様子に敏感に反応する

相手のわずかの表情の変化に、こころが敏感に反応し、”わたしの話をききたくないんだな”と決めつけている方もいます。

そうすると、一気にこころが閉じていきます。

過去に“きちんと聞いてもらえなかった経験”がある方や、自信のなさなどが関係していることが多いです。

過去が関係していても、これは“いま”感じている傷つきです。

「分かるよ」と軽く言われ、話す気をなくす

”分かるよ”と言われ、相手の優しさだと分かっていても、なんだか軽く言われた気がして

「まだ話していないのに、簡単に分かると言わないでほしい」
「わたしの感じていること、分かっていない」とこころが閉じていくことがあります。

少しのニュアンスの違いでも、受け取る側には大きいことがあるのです。
“分かる”という言葉は、安心にもなれば、壁にもなります。

「どうせ分かってもらえない」と自分を守ろうとする

「どうせ分かってもらえない」
このような、相手を攻撃しない静かな感情…淋しさ、むなしさ、悲しさを感じていると
「期待しない」ことで、これ以上傷つきからの防御態勢に入ります。

それは、自らの意思であきらめているようでいて、実際は、無意識の自分を守るための反応です。

つまり、これ以上の傷つきには耐えられないという自然な自己保護反応。

奥にある分かってほしい気持ち

説明したくないと思っているのに、
心のどこかで「分かってほしい」と思ってしまうのは、どうしてなのでしょう。

それは、つながりをあきらめていないから。

矛盾や、ひねくれ、冷たさ、わがままではなく、”真っすぐな思い”と、わたしは感じます。

記憶にある、分かってくれなかった人たちへのいら立ちとやりきれなさ。

それなのに「つながりたい」と思ってしまう自分に対して、泣き笑いをしちゃうような、健気なまっすぐさとむなしさ。

カウンセリングでは、思いをまるごとみていく

カウンセリングでは、言葉にならなくても、その“説明したくない思い”をまるごと扱います。

ポジティブにしようとする必要はありません。

うまく適応するために、すぐにふたをしたり、流したり、すぐに整理しようとしなくてだいじょうぶ。

そのまま受け止めてあげたい大切な思いです。

それは「終わった」感情ではなく、いまの感情です。

もし、そこに、なんともいえない“モヤ”を感じるなら、感情をまるごと受け止めています。

人を憎み切れない、つながりを大切にするあなたの真っすぐさ。それは、もともと持っている回復しようとする心の力だと思います。

回復する心の力を蓄えるには

「私は何を分かってほしかったのか」と自分の中で問いかけてみてください。
答えをすぐに出そうとしないでいると、何かがほんの一部、動いていきます。

何も感じなければ、何も感じないことをそのまま受入れます。

そのうえで、あなたが話す相手、分かってほしい相手を、あなたが選んでいきます。

あなたの”全部”を分かってもらおうとするのではなく、あなたの”一部”から。
少しずつ。

そういう相手と出会えますように。

もしかすると、いま身近にいる人で、あなたの中の一部を分かってくれる人がいるかもしれません。

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