・良かれと思って言った
・心配して動いた
・力になりたかった
それなのに、なぜか距離ができている気がする。
責めたいわけではないのに、もやっとしている。
こういうとき、あなたが「優しくなかった」のではなく、
あなたの優しさが、別の役割にすり替わっているかもしれません。
優しさが“自分の安心”のためになってしまうとき
人を心配するとき、自分ごとになるほど…つまり優しさがあるほど、
「このままで大丈夫だろうか」という自分の不安が混ざってきます。
そして、
自分の不安を減らしたい、
関係を安定させたい、
拒絶されたくないという思いが強いと
やさしさは“善意”から“自己防衛”が目的になることがあります。
自分の不安を下げるために
・答えを渡す
・動かそうとする
・変えようとする
これは、優しさから、無意識にやってしまいがちなことです。
「相手のため」から
「自分を安心させる行い…自分のため」
に変わってしまうのです。
「理解者の自分」を作りたくなる
優しさ自体は、人を支え、励ますものです。それで救われる人がたくさんいます。
優しい人でありたい。
分かってあげられる人でいたい。
このような方は、人を潤す力のある方です。
ですが、同時に、そのような思いが、
”相手の役に立って自分の価値を保ちたい”
という自己満足的な優しさになることがあるのです。
また、優しいということで、他から承認が得られます。
優しさの罠です。
優しくすればするほど、頼られ、依存され、必要とされる自分が確立していきます。
わかってあげたい気持ちが、相手の自由を奪ってしまう
ほとんどの人は
答えだけをもらうより
自分なりに考えることや
自分で気付くことのほうが、自分の力になります。
でも、こちらが、相手を早く楽にさせたい気持ちが強いと、
相手の言葉を待たずに、意味づけをしてしまいます。
・ 相手の感情を「わかったつもり」でこちらの理解で固定する
・ 相手の感じ方より、自分の解釈を優先する
・ 相手の変化・拒否・沈黙を許せなくなる
これらは極端な例かもしれませんが、こうなると、もはや理解ではなく、
相手に自分の思いを押し付ける、傷つけるものになっているのです。
近い関係ほど、こちら主導になりやすいのはなぜか
家族、パートナー、親しい友人。
距離が近いほど、
・守りたい
・支えたい
・わかりたい
が強くなります。
大切な人だからこそ、
無意識に「自分の思う正しい方向」に導こうとしてしまいます。
優しさは、いつも正解に導くことではない
本当に大切なのは、
「あなたが優しいかどうか」ではありません。
相手が決めた答えは、いつも正解とは限りません。
同時にあなたの決めた方向も、正解かどうかはわかりません。
相手の迷いや不安もひっくるめて
相手が決めたことを支える優しさは、関係が深まります。
本当の優しさ
たとえ自己満足な優しさであっても、救われる人がいて、悪いことではなく、善意です。
そのなかで、自己満足的にならない優しさは、確かにあります。
・分かろうとしすぎない
・役に立てなくても気にならない
・相手の「わかってほしくない」を尊重できる
”寛容で情け深く、自分の利益をもとめず、ねたまず、誇らない”
という新約聖書のコリント人への手紙にある愛についての言葉は、自己満足的にならない優しさをよく表していると思います。
本来の優しさは、”愛” といえるもので、みかえりを求めないもの。
まとめ
あなたが、傷つけられた気がしたなら、相手は、抑えがきかなくなっているのかもしれません。
あなたが、相手を傷つけたかも、と思ったなら、無意識に自分を防衛していないか思い返してみことができます。
もし、愛という観点でとらえるとしたら
”見せかけの優しさ”であっても責められないのかもしれません。
正論になってしまい、こころの行き場がなくなりやいテーマです。
どこにも出せずに、深く沈んでいきそうな傷つきは、受け止める存在が必要です。
