相手に違う捉え方をされたと気付いた瞬間から、そのことが、何度もよみがえることがあります。
些細なことであるほど、”気になっている自分”への否定感が出やすいものです。
ここでは、誤解されたことに反応しやすいタイプの人が「自分を守りながら生きやすくなる視点」を整理していきます。
なぜ誤解されただけなのに、こんなに尾を引くのか
単なるコミュニケーションの失敗ではない
誤解されると、私たちは「伝え方を間違えた」と自分を責めがちになります。
しかし、誤解が尾を引くのは、あなたのコミュニケーションの失敗ではありません。
また、「相手が理解してくれなかった」こと自体でもありません。
それは、“自分という存在が、本当の自分とは違った形で相手の中に置かれた”という、どうにもできなさからきている場合が多いです。
これは、自己評価の問題とは別です。
「評価にさらされる」ことより、安全がおびやかされる怖さ
人は、誰かが理解した自分像を、そのまま”自分”として感じるところがあります。
それは、相手の中に違う形で自分が置かれるだけでなく、自分自身の自己像までゆらされているの状態なのです。
誤解された不快感は、「評価されている/批判された」というレベルにとどまりません。
人間は社会的な生き物で、他者からどのように理解されるかが、心理的な安全感に直結します。
そのため、誤解は“安全性に関わる情報”として扱われやすいのです。
とくにHSP(感受性の高い人)や、対人関係で揺さぶられてきた経験のある人は、この領域に反応しやすくなります。
誤解に気付きやすい人に共通するもの
HSP(感受性の高い人)が感じやすい揺らぎ
感覚が鋭い人は、相手の反応や言葉の選び方、表情の変化を瞬時に読み取ります。
そのため、誤解された瞬間の「微妙なズレ」も正確に察知してしまいます。
この察知能力は、本来、環境に適応するための力です。
しかし、このズレに気付きすぎると、せっかくの力が、こころへの過剰な刺激になりやすいのです。
過去に対人関係で揺さぶられてきた人
幼少期や過去の人間関係で
「本当の気持ちを伝えても通じなかった」
など、気持ちがゆさぶられてきた経験があると、
いま起きているできごとなのに、過去の思いを呼び起こしやすくなります。
こころは過去の体験を参照して、「また、同じことが起きるかもしれない」と反応するのです。
この“危険予測”がいまの傷つきを増幅させることがあります。
自分の内側と外側のズレに敏感なタイプ
自分の感情や思考の微細な変化を察知できる人は、
「本当はこう言いたかったのに」
「こんな意図じゃなかったのに」
という“内側のズレ”に鋭いため、外側の理解とのギャップを感じやすく、誤解は強い違和感として残りやすくなります。
“自分が崩されたまま放置される感覚”とは
自分が崩された体験
誤解されるとは、“こちらが意図しない自分像を相手の中に生むこと”といえます。
たとえば
「怒っているように見えた」
「責めているように思われた」
「軽く扱っていると思われた」
そういった誤解は、“自分の形が勝手に変えられ、もともとの自分を崩されたような感覚”を引き起こします。
この感覚が、誤解が尾を引くことの正体かもしれません。
他者の中の自分像に心が反応する理由
相手の誤解そのものより、
こころが反応しているのは、
「自分とは違う像が勝手に立ち上がること」です。
この自分像は、アイデンティティと言えるのではないでしょうか。
それを守るために、防衛システムを瞬時に起動させているのかもしれません。
誤解に気付く敏感さは、あなたが生きやすくなる助け
誤解に反応しやすい人は、
“他者に敏感”というより「自分と丁寧に付き合ってきた人」が多い印象です。
社会の動き、環境、仕組みに対する公平性、過去の出来事からの影響、感受性の豊かさ、
それらが合わさって、誤解に対してもセンサーが働きやすいのです。
この感度のよさは、欠点ではなく、あなたのアイデンティティを確かにしている大切な力です。
あなたのアイデンティティは、唯一のものです。
とはいえ、力があるからこそ、それが生きにくさにつながることもあります。それで、背中合わせで、センサーを働かせて、あなたの身を守っているのです。
安心できるところでは、センサーを使う必要がないので疲れが少ないはずです。
ときどき、センサーをOFFにして充電できますように。また、あなたらしさに磨きがかかりますように。
感想、ご意見は、問合せをお使いください。

