くすぶっているようなもやもや感
特に悩んでいるわけではないけれど、まわりの人が充実しているように見え、
「わたし、このままでいいのかな」
「わたしは何をやりたいのだろう」
「これから何をするといいのだろう」
という言葉が出てくるのを耳にすることがあります。
年齢に関わらず、このような、漠然とした不安定感は、本能的な感覚にも思えます。
やりたいことってなんだろう
たぶん、いままで、やりたいことをさぐるために、何かをしたことがありますよね。
たとえば
- 興味のありそうなことをリストアップした
- やりたくないことをリストアップした
そして、ひとつやってみたけれど、
夢中になれるわけではなく…
最初の疑問に戻り、また、このままでいいのかな…そして、フェイドアウトしていくのを繰り返すかもしれません。
認知的不協和理論
やりたいことが見つからないとき、
「やりたいことは、集中できる」
「やりたいことをしていると生活が楽しくなる」など
「やりたことをしていると、〇〇のはず」とこころの中で決めつけがあり、その想定と違うと、吟味せずやりたいことからはずす場合があります。
本当のこころの反応を読み取れなくなるのです。
もうひとつに、自分の考えと行動(現実)の間のずれが大きいとき。
たとえば、通信で大学に行こうとしたら、試験に落ちたなどです。
これは、認知的不協和とよばれています。
この認知的不協和状態は、不安定で気持ちのよいものではありません。
この不安定さは、地味に高止まりします。
もともと、心身は、バランスのとれた状態に戻りたがります。
そのため、この気持ち悪さをなんとかしようとします。
それが、なにかの行動を起こす後押しになることもあれば、焦りになることもあります。
やりたいことを探す前に、楽しい気持ちに敏感になる
もし、この不協和に気付いたなら、
いまの思いを、まっすぐみているということです。
やりたいことがないのは、悪いことではありません。
なにかをやりたいと思っているとは、あきらめていないということ。
あなたの状態は、いま悪くはありません。
そこで、そのエネルギーを使い、ちょっと自分にきいてみてほしいのです。
本当はやりたいことがあるのに、考える前からあきらめていることはありませんか。
すぐに結果をだそうとして、失敗することを恐れすぎていませんか。
そうして、ゆっくり、ゆっくり、ご自身をみつめてみます。
みつけようとするのではなく、こころの動きに敏感になってみます。
いつもより時間にゆとりをもってゆっくり歩いてみます。
ふと何かに目をとめたくなるでしょうか。
こころが何かを感じているでしょうか。
いまに目を向ける
いま、あなたは何を思っていますか?
毎日の生活に、感謝がわくこともあるかもしれません。
また、あなたが自分をみつめることを、じゃましている何かがみえるかもしれません。
他の人と比べる必要はありません。
見るのはあなたについてです。
本能的な生きることに目を向けているあなたは、エネルギーのある人たちと出会う確率が高くなります。
また、何かを整理する必要を感じるかもしれません。
あなたの願いをみつめていきたくなるかもしれません。
すべては、あなたの必要に合わせて。


